東急建設㈱災害防止協力会 設立40周年記念誌 災防協この10年のあゆみ
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07記念対談災防協この10年のあゆみ 2000-2009とのことです。以来、会社の人たちは協力会をなくてはならない存在として応援し、また会員にも東急建設とは共存共栄だといった認識が広まった。災害防止協力会が着実に発展してこられたのは、この「五島社長のお話がきっかけだった」と初代の髙橋会長が話されていました。事実、発足当初200名を超えていた死傷者も5年目からは大幅に減少して、10年目以降は延労働時間数が右肩上がりにけるだけでは、仕事はうまくいかない。これは私の実感でもあります。白岩 飯塚社長は現場に長く携わっておられて、作業所運営での工夫やアイディアも数多くあると思いますが、何をいちばん大切にしておられたのでしょうか。飯塚 私が所長でやっていた期間は4年半ぐらいです。最初に現場を任されたのは平成2年です。当時、東横線の複々線化といった大型工事が盛んでした。社内的には、その大型工事が注目されていて、私が担当した現場はあまり関心が向けられていませんでした。そんな中で毎日、社員や協力会社の人たちに言っていたことは、「安全だけは絶対に他の作業所に負けないようにしよう」、そして他の現場から「あそこは安全についてしっかりやっている。見学させてもらおう」と言われるくらいにしたい。これを朝礼はもとより、いろいろな場で機会あるごとに話をしていました。白岩 飯塚社長が現場運営の基本に据えて、指導されてきたことですね。飯塚 現場では「所長の背中」ということを意識していましたね。これは、ある人のアドバイスで気がついたことなので飯塚 恒生東急建設株式会社 代表取締役社長「所長の背中」を見てもらうなっていく中でも二桁台に下がっています。飯塚 五島社長の「包装紙と中身」のたとえは、たいへん重要な指摘で、現在にも通じることだと思います。お互いにプライドをもって切磋琢磨する。そのためには議論をよくして、お互いに納得して仕事をする。それがいい中身をつくることになる、ということではないでしょうか。一方的な考え方や思い込みを押し付切磋琢磨して共 40周年

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