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■みどり 93

●青年部会
平成16年度第3回全国青年部会長会議を開催


開会の挨拶をする金子本部青年部会長

 平成16年度第3回全国青年部会長会議が平成17年3月11日、大阪中央区のヴィアーレ大阪において、札幌から九州までの青年部会長、副部会長、大阪支部からは青年部会員が参加して開催されました。

 開会にあたって金子本部青年部会長より議題の趣旨説明があり、続いて会議にご出席をいただいた災害防止協力会本部の白岩会長、大阪支部の松本支部長、東急建設の浅賀安全環境品質部長よりご挨拶がありました。浅賀部長からは災害状況の報告と、東急建設が平成17年度より導入する優良職長「マイスター制度」についての説明がありました。
 会議は、「平成17年度の事業内容の発表」、「意見交換」を議題として進められました。「平成17年度事業内容の発表」では、各支部青年部会より平成16年度の事業報告と併せて、17年度の事業内容が発表されました。
 「意見交換」では、魅力ある青年部会づくりのためにはどうすればいいのかというテーマのもと、出席された浅賀部長、白岩会長、松本支部長からも助言をいただく活発な意見交換となり、全国組織としての青年部会の存在と意義、青年部会の存在のPR、共通する課題の掘下げ等、これからの青年部会の方向性を示唆する全国部会長会議となりました。
 2時間半に及ぶ会議の後、大阪支店の幹部の方々、大阪支部の役員の皆さんにも出席していただき、大阪支部青年部会の松本副部会長の司会で懇親会が行われました。
 本部からの挨拶として白岩会長は、「大阪支店、支部、青年部会の皆様には会場設定など、大変お世話になり感謝しています。プロ野球ではタイガースが非常に好調で、仰木監督を迎えたオリックスも話題が豊富です。大阪、関西地域が元気であることが日本に元気を取り戻す源だ」と、大阪へのエールを送りました。
 懇親会には、現場視察で出張されていた沢田支店長も途中から出席され、懇談の輪が会場一杯に広がりました。

 本部・支部青年部会平成17年度事業内容は、次のとおりとなっています(本部・支部の定例活動は省略、主な事業を全体として列記しました)。
 ・研修関係(安全衛生管理講習、産業廃棄物とリサイクルについて、経営者セミナー等)
 ・見学会(現場見学会、異業種見学会等)
 ・他支部青年部会との交流会
 ・施工部との意見交換会
 ・CFT、RST資格の取得
●私の健康法

私の健康維持は歯の健康維持

渇ャ野工務店(首都圏・鉄道支部) 荻野  優

 特別意識して、健康に注意しているわけではありませんが、歯を丈夫にして何でも美味しく食べられれば元気でいられる、特にカルシウムは大切で小魚等は骨ごと食べること、ということを子供の頃より何気なく教わってきました。最近でこそ骨密度について話題になっていますが、身体の骨を丈夫にすることも併せて教えられていたような気がします。
 元来食いしん坊の私に対しては説得しやすい論法で、今日までそれを守り続けてきたようです。そのせいか、これまでこれといった大病もせず、かといってそれほど丈夫ではありませんが、無難に過ごしてきました。
 健康で過ごせる幸福は病気になって初めて知ると言われます。風邪で寝込んだときなどは誰でもそれを経験した覚えがあると思います。塩の辛さはなめてみて初めてわかるとも言います。私たちは日々生涯、山あり谷ありで、一つの峠を越えてホッと息をついたら、また次に峠が控えている。その繰り返しがとめどもなく続いて、果てしもない旅路といえますが、これは誰もが避けられないことで、ただ懸命に歩むほかありません。そのためには常に元気で健康を保つことが必要です。
 私は40代に入った頃より、心配事や疲労が重くなったとき、時として歯痛に悩まされることが多くなりました。虫歯でなくても歯の内部から化膿する事態となり、歯医者に通うことになりましたが、昔からカルシウムをたくさん摂ってきたので硬くて丈夫な歯のため、サンダーで削って治療するのに医者は非常にてこずり、私の方は痛い思いを嫌というほど体験しました(ストレスによって人にはそれぞれ現れる現象で、例えば胃痛が起きたり頭痛がしたり等々)。

 それ以来、毎月1回歯のケアに通っています。これは予防医に熱心なお医者さんが近所におり、歯を損ねるといろんな病気になる可能性「大」であり、歯磨きを正しくするよう指導され、また脅かされて励行しているところです。
 ちなみに、成人の持つ上下で28本の歯のうち、ある年齢に達して半分以上残っている人とそれ以下の人とでは、歯磨きに違いがあったとのことです。皆様も関心がありましたら正しい歯磨きを習ってみませんか。
 最近太り気味で減量しなくてはと思い、節食を試みていますが実行が伴わず、ダイエットの難しさをつくづく知らされました。また深酒や夜更かしが翌日に残るようになり、身体に良くないことと反省するのですが、またすぐ元に戻りの繰り返しで、これでは健康維持など論じる資格がないと……慙愧に耐えません。
 人生は一日一日が、いわば死への旅路であるといえば、生あるものは何時かは死に至るというのが自然の理法で、この旅路に変更はありません。いつ死に至るかわからないにしても、それまで苦しいことや楽しいことも健康で元気に乗り越えられたら、最良の人生であると思っています。

●協力会社訪問
叶尅g(首都圏・鉄道支部)

会社創立以来「直傭の手で仕事を」を通し
お客様の要望に対して迅速的確に対応する

代表取締役 菅  哲政
本社所在地 川崎市幸区北加瀬3-6-5
業 務 内 容 とび・土工事


菅  哲政社長

菅  裕隆専務

●会社経歴書を拝見しますと、昭和37年菅組を設立となっていますが、東京オリンピックを控えて世の中全体が非常にあわただしい時代だったのではないでしょうか。
 菅社長 そうでした。世の中も自分自身もがむしゃらな時代でした。家内の兄がやっていた会社で、私は東急建設はじめ他のゼネコンの仕事をやっておりまして、それから菅組を設立したわけです。そして、麻布や早稲田のマンションや五反田の微生物研究所などの工事をさせていただいておりましたが、間もなく、所長から会社組織にしないかというお話があり、昭和40年に有限会社にし、昭和50年に株式会社にしました。その間いろいろなことがありましたが、蒲田の駅ビルの工事で駅関係の雑工事もあわせてやらせてもらい、その関係で東急田園都市の駅舎関係や武蔵工業大学の仕事などもいただくようになり、設立して45年近く経過しますが、ずっと東急建設一筋でやってきて現在に至っています。

●災害防止協力会設立の発起人会にも参加をされていたようですね。
 菅社長 ええ、千葉で東関東支店の仕事を一時主力でやらせていただいていましたが、そのときに災害防止協力会設立の話があり、千葉の建築の代表になれという話で発起人会から参加をして、東関東支部の最初の支部長に任命されました。
 その間、東京、横浜、千葉と3箇所で仕事をさせていただいていましたが、目がきちんと届く直傭の手でやるのが安全、品質などすべての面で確かですから、千葉では下請を使っていましたが、その業者には独立してもらい、東京と横浜の仕事だけをするということにしました。
 菅専務 会社を興したときから、社長のモットーは直傭の手で仕事をするということで、これは現在でも続いています。会社の隣が宿舎になっていますし、通いの人も朝必ず会社に来ますから、東急建設からの通達事項や災害事例など、即すべての職人さんに周知徹底できる体制になっています。


菅組が担当した武蔵工業大学図書館棟
●菅組が大切にされていることは何でしょうか。
 菅社長 働く人間同士の信頼関係を大切にすること、そして、安全でいい仕事をして信用をいただくことに尽きます。そのために直傭を通してきましたし、それがまた事故を起こさない一番の元だと思っています。

 菅専務 当社の仕事のメインが学校や駅関連施設で、学生さんや利用客などが多く行きかう現場ですから、第三者災害を起こさないことに一番気をつかっています。早くて的確で安全な作業ができれば一番なんですが、早いというよりは、まず慎重に、第三者に対して安全の目配り、気配りができるようにということを大切にしています。

●菅組の強味をお話ください。
 菅社長 隣りが宿舎ですから、いつ突発事態が起きてもいつでもすぐに対応できることです。

 菅専務 いつ何時でも会社の電話、私の携帯がなればすぐに出られる状態にしています。突然の大雨で駅のホームが水浸しになってしまったとか、これまで何度かありましたが、そういうときに迅速に対応できる実績がありますから、駅舎関係の仕事も長くお付き合いさせていただいているのだと思っています。

●これからの展開として考えておられることは、どんなことでしょうか。
 菅専務 現在、お世話になっている東急線沿線の工事と学校関係の、当社の基本である仕事を守っていくことです。そして、ずっと青年部会をやってきて、同世代の輪が広がっていますから、仲間同士で協力し合えるところは協力しながら、お互いの発展につながればいいなと考えています。


兜ス山鉄筋(東北支部)
創意と工夫と誠実を日々積み重ねながら
どんなときにでも信頼されるいい仕事をする


代表取締役 平山  勲
本社所在地 福島県郡山市静町47-11
工場・事務所 福島県郡山市田村町金屋字川久保113
事 業 内 容 鉄筋加工組立工事

平山  勲社長

●事務所の隣には、屋根付の加工場が並んでいますが、いつから屋根付にされたのでしょうか。
 平山社長 昭和58年に現在地に、事務所と工場を新設したときに工場を屋根付にしました。平成3年に新社屋改築に併せて工場も増築し、平成10年に新しい工場をつくりましたが、ここはコンピュータシステムを取り入れて、機械によって自動的に加工ができるようになっています。また、福島と郡山の中間にある二本松にも工場があります。ここは門型ですが、福島方面の仕事にということで平成4年につくりました。

●最初の工場が20年以上前のことになりますね。当時は屋根付というのは、ほとんどなかったのではないでしょうか。
 平山社長 屋根を付けたのは、この地域では当社が一番早かったですね。仙台でも屋根付はほとんどなかったのではないでしょうか。

●その間の経緯をお聞かせください。
 平山社長 私は仙台出身で、仙台の鉄筋会社で働いていましたが、郡山市庁舎を新築するということで、職長としてこちらに出向してきました。仙台から職人さんを20人くらい連れてきたのですが、躯体工事だけで1年かかる大工事でしたから、地元の郡山からも職人さんを同じくらい集めて仕事をしました。仕事が終わって連れてきた職人さんたちは仙台に帰り、私はしばらく留まって残務整理をしていたところ、地元の職人さんたちが私に郡山にいてくれと言うので、私も一緒に苦労した彼らをそのままにしておけず、右も左もわからないこの土地で独立しました。昭和40年のことで、私が24歳のときでした。
 皆と信頼されるいい仕事をしようと、がむしゃらに働いているのが認められ、仕事も順調に増えていき、6年後に法人化して会社設立となりますが、設立のときに立てた目標が、屋根の付いた加工場を建てるということでした。私自身、職人として野丁場で雨に濡れながら鉄筋を運んだり切断したり、作業着も擦り切れるという経験をしてきて、私の後についてくる職人さんにはそんな思いをさせたくないからでした。雨が降っても雨具を着なくても作業ができ、仕事が終わったら出社したときと同じような格好で帰らせてあげたいし、そんな環境をつくらなければ会社として成長していかないだろうと考えていました。

●働きがいのある環境をつくるのが、経営者の務めだと考えておられたわけですが、屋根付は反響があったのではないでしょうか。
 平山社長 ある公共施設の設計を大手の設計会社が行ったときに「錆の付いた鉄筋はだめだ、屋根の架かっているところのものはないのか」という話になり、平山なら屋根があって、鉄筋も青いままだということで仕事をいただきましたし、会社を見に来られるお客様も多くなり、お付き合いも広がっていきました。


●環境整備と品質管理が一体になっているわけですね。
 平山社長 そうです。私たちの仕事は何よりも品質がよくなければなりません。当社でも屋根のなかったときは、新しい鉄筋が入ってくるとそれを下に置いて、赤くなったのを上に置いていきましたから、いつまでも赤いのが残るという状態で、そういう苦労が一杯ありました。


●経営にあたって大切されているのは何でしょうか。
 平山社長 どんなときでも信頼される仕事をすることです。単価が厳しい、工期が厳しいと頭を抱えていては何にもなりません。そこを工夫して無駄をなくして、効率化を図り、いただいた仕事はいい品質を工期内にきちんと仕上げることです。信頼されるいいのものをつくるには、やはりいい人材がいなくてはなりませんが、当社は教育に特に力を入れており、一級及び二級鉄筋技能士はじめ資格はどんどん取らせております。
 創意と工夫で仕事をより早く、日々の誠実で永い信用をされ、そして会社の繁栄を社員の福祉へと考えています。

安全大会での表彰式

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