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■みどり 92号
●ズームアップ

東急建設株式会社と災害防止協力会共催の
平成17年安全祈願を行う


 東急建設株式会社と東急建設株式会社災害防止協力会の共催による平成17年安全祈願が、すがすがしい青空の広がる1月18日午後3時より、明治神宮において執り行われました。
 安全祈願には、東急建設から山田社長、南部副社長はじめ役員、幹部社員の方々が、災害防止協力会から白岩会長、副会長、本部役員、全国各支部長、副支部長、各支部青年部会長、副部会長が参列しました。
 山田社長と白岩会長が代表して記帳を行った後、本殿において玉串を奉奠しました。引き続いて神楽殿に移り、工事の安全と東急建設と災害防止協力会、関係各位の繁栄を祈願しました。
 安全祈願を終えた午後5時半より、渋谷エクセルホテル東急で新年懇親会が行われ、山田社長、南部副社長、役員、幹部社員の方々と祈願祭の参列した本部、支部役員、青年部会の皆さんとの間で懇談の輪が広がりました。

●新春・大いに語る
目標に向かって歩む素晴らしさ

新春・
大いに語る
【出席者】
山田 豊彦
(東急建設株式会社 社長)

田部井淳子
(登山家)

白岩 常志
(東急建設轄ミ害防止協力会 会長)

小松 茂
(東急建設轄ミ害防止協力会 事務局長)

 *敬称略

小 松
 本日は世界で女性として初めてエベレストに登頂され、さらに世界7大陸の最高峰を登頂されるなど、登山活動に力を注いでおられると共に、山岳環境保護団体の代表として山の環境問題にも取り組んでおられる田部井さんをお迎えして、東急建設の舵取りをされている山田社長、災害防止協力会の白岩会長、事務局の私が司会役ということで話を進めさせていただきたいと思います。
 登山は頂上を目指してひたすら歩んでいく世界だと思います。建設業も一つのものを創るという目的に向かって進んでいくということで、お互いに共通するところがあるのではないでしょうか。そこで、座談会のテーマを『目的に向かって歩む素晴らしさ』にさせていただきました。
 まず、田部井さんに、山登りを始められたきっかけからお伺いしたいと思います。
田部井 私の生まれた福島県の三春町は、梅と桃と桜が一度に咲くので三つの春と書いて三春といわれるように、非常に緑に囲まれた所で、山というのは畑があり、桜が咲き、ツツジが咲くという、緑の山という概念しかなく育ちました。
 たまたま小学校の4年生から6年生のときの担任の先生がすごく山好きで、先生から夏休みに山に行くけれど一緒に行くかと誘ってくださって、ついて行ったのが栃木県の那須にある茶臼岳と朝日岳という1,900m近い山でした。当時は戦後間もないときですから、自炊用の味噌や米などを入れた小さいザックを背負いながら登っていきましたが、私がものすごく驚いたのは、山なのに草も木もないということでした。火山の山ですから岩と砂だけで、しかも硫黄でできているので変な匂いがする。「ああ、こんなところがある!」。川というのに、ここではお湯が流れている。それが10歳の私にとっては驚きの連続でした。教科書で習ったものではない、自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の肌で感じた体験というのは強烈でした。そして、自分の知らないところがもっともっとあるのではないのか、という好奇心に満ちた気持ちをもったのが、私が山に興味をもったきっかけでした。
 私は小さいときは体が弱く、よく扁桃腺で熱を出して、体育の選手になったことは一度もないのですが、山登りというのはヨーイドンで登っていくのではないのだよ、どんなにゆっくりでもいいのだよと、先生もおっしゃってくれましたし、自分が歩いていかない限り、絶対頂上には着かない。そしてどんなに辛くても、誰も選手交代というのがない。それも私にとってはとても納得がいくことでした。スポーツはダメだったけれど、「ああ、みんなと一緒に頂上に立つことができた」という達成感と満足感と、「ここに来ないとこの風景は見られない」ということが今でも続いていると思います。
白 岩 山田社長は山登りのほうはいかがですか。
山 田 私の父親は戦前の小学校の先生でしたが、写真などを見ると、相当に山登りをしています。ところが私を含めて男の子が3人いるのに、誰も登山をしない。私の山登りの経験は北海道の藻琴山で、1,000m位の山です。修学旅行の途中で登らされて、何でこんなところへと思いながら頂上にたどり着いたら、屈斜路湖とオホーツク海と知床半島がパーッと広がって見えました。その思い出が一つあります。
 それから、山梨県の櫛形山の中腹に父が山小屋をもっていましたから、櫛形山には登ったことがありますが非常にきつかった、もう苦しくて。それでも登ったら、あやめ平という花の頂上があって、向こう側には北岳が姿を見せている。
田部井 非常に景色がいいところですね。
山 田 家族と登ったり、小学校の同級生と登ったりしたこともありますが、あまり登山の経験はありません。1,500m位の山でも、もう二度とこんなことはやらないぞというくらいきついのに、8,000m級の山に登るですから、本当にすごいと思いますね。


状況判断と情報の共有化が危険を防ぐ

小 松
 田部井さんも山に登っているときにヒヤッとして、「ああ、危ない」という経験が多分おありだと思うのですが、それが次の計画に生かされるということがあるのではないでしょうか。
田部井 登山の計画を立てるときには、非常に緻密な計算をしていきます。例えばエベレストですと標高8,848mですから、最後のキャンプ地が8,500m地点になります。そして頂上に3人立たせようとすると、8,000mのキャンプには補給するために倍の6人の隊員、ベースキャンプにはその倍の12人の隊員が必要となり、それに隊長とドクターなどを入れると最低でも15人のメンバーがいる。それで、テントを六つ出すためには、どれだけの機材や食糧が必要か。何日間滞在するかによってシェルパーが何人必要か。荷物によってはポーターが何人必要か。そういう計算をしなければなりません。ですから実際に山登りをするというのも大変なのですが、その準備の段階がとても大変で、緻密に計算したつもりでも、いざ現場に行ってみると予測できないことがいっぱい起こってくるわけです。  
  そのときに目前にある困難を乗り越える力があるのは、現場の数をたくさん踏んでいる、いろいろな体験をこなしてきた人です。そうでない人は非常にパニック状態になってしまい、例えば自分が装備係だと、その装備が足りないときに「東京の会議のときはこうだった」とか、すぐ振り返るわけです。でも、今は東京ではなくネパール。体験を積んだ人、何回も何回もそういう危機に直面したことのある人はパニックになるのを抑える力というか、常に自分自身が平常心を保つことで、次のステップが考えられるのですね。
 私もヒヤリとしたことを何回も潜り抜けてきたし、亡くなった人もたくさん見てきました。その亡くなった人がどうやってそういう状況になったかということを考えると、山の場合には自分の何かの判断ミスであったり、行動のミスであったりといった要素が非常に多い。だからまず、自分自身の判断をきちっとしなければいけない。そのためには現場の数をたくさん踏むということ、それしかないのです。それによって直観力というか、例えば山を見たときに、このルートはいいとか、悪いとかいう判断ができやすくなります。
白 岩 我々の建設業と全く一緒ですね、プロとしての意識をもつというのが。事故を起こさないというのは職長、リーダーがキーポイントで、現場の第一線でやっていく人間の状況判断というのが非常に大切です。そのリーダーの言ったことが作業員に的確に伝えられ、みんなに伝わって、その意識になるか、そこが非常に問題なのです。登山もチームワーク、人間関係が大事なのでしょうね。
田部井 伝達能力というのも非常に大事です。現場の第2キャンプと第3キャンプとベースキャンプはものすごく離れていますから、状況をトランシーバーで伝えるのですが、何か起きると人間というのはオーバーに言いがちになり、状況をきちんと把握しないで、「雪崩が起きた!」とか叫ぶだけになる。雪崩がどこで起きて、どういう被害があって、何人がどうなったか、そういう的確な状況説明でなければなりません。パニックになっているときは、きちんと聞けないことが非常に多いので、私たちはそれを防ぐために書いたものをすごく大事にしました。とっさのときにはトランシーバーで伝えるのですが、そのときにも「いつ、誰が、どこで何をした」という伝え方をすること。誰かが落ちたといっても、その落ちた人がどうなっているのか、何メートル落ちたのか、その落ちた状況はどうなのか。そういったことがわからないと救出もできないし、その場で対策がとれませんから。
 それからキャンプに装備、食料などがどれぐらい上がったかということの確認があります。例えば何人で何日ほど滞在する分の食糧が上がっているのか、それを調理するためのコンロがいくつ、ガスが何本上がっているのか。どれくらい上げたと思うとか、上げたらしいとか、推定とか憶測で言っては絶対にいけない。数量をきちっと把握するための専用のノートに荷揚げした人は必ずそこに書き込んでおきます。そして、使ったものは必ず色を変えて別の鉛筆で書いていく。そうしないと、何がどれぐらいあるとのかという管理ができません。下から上がって行ったら食料がなかったとか、寝袋もなかったというのが実際にあるのです。
山 田 今のお話を聞くと、建設業の着工というのは登り始めで、竣工が頂上ですね。登山する前にいかに緻密な計画をするかが大事なことになりますが、建設も同じです。安全から品質、工程、原価、環境などにわたって綿密な計画を立てます。この工事のどこが危険で、あるいはどこが難しいということを100%近く把握し、できるだけ計画どおりに仕事の流れがスムーズに進むと、やはり危険というのは少なくなります。しかし、いくら綿密な計画を立てても、やはり事故や災害は起きてしまう。それは会社の責任でもあり協力会社の責任でもあるのですが、最後には実際に働いている人の心の持ち方とか、安全に対する意識とかいったものによって、どうしても起きてしまう。その確率をできるだけ小さくするためには、最初の計画と途中のチェックが大事なことで、やはり同じだなと思いました。
 それと、田部井さんが言われた情報のあり方ですね。我々もやはり情報の共有が非常に大切で、みんなが同じ情報をもっていないと、物事はどこかで食い違ってしまいます。だから同じような問題点があるのだなと思います。
白 岩 全くそのとおりだと思います。例えば危ないから気をつけろというのはダメで、ここが危ないから、こういうふうに気をつけなさいという指摘でなければなりません。だから、現場の状況を本当に的確につかむことです。そのへんが人間だから、ちょっと傲慢になってみたり、忘れてみたり、言い間違い、聞き間違い、勘違いをする。

山田 豊彦社長 

田部井淳子氏

白岩 常志会長

小松 茂事務局長

登山でも建設でも指差称呼は基本中の基本

山 田 経験という話が出ましたが、我々の世界でも経験が非常に大きい要素になりますね。経験を多く積んだ人は、この仕事はどのあたりで、どういうような大きな問題があるというのがわかりますから、事前にそれに対する対応をするでしょう。そうすると、仕事がどこにも引っかからないで頂上に行くわけで、いい仕事ができることになります。
 もう一つは安全に対する経験です。私も現場にいましたが、ヒヤリハットの経験をした人、多少ケガをした人と、経験をしていない人ではまるっきり違うのです。ヒヤリハットやケガは自分のことではない、他人のことだと思っている人がいることが一番怖い。多分そういう気持ちの人が事故を起こしていることが多いと思うのです。
田部井 登山でも同じですね。言われたこともしっかり守って「これは大丈夫。これも大丈夫」と、安全ベルトなど全部チェックして「これでいいよね」とちゃんと見てもらっているのに、慣れてくると、手早くやるのが達人みたいな感じで、思わぬところできちんと締めるのを忘れて、引っ張られたときに、それが外れてしまったとか、あの人がと思うような経験のある人がミスをすることがありました。
 それから、二人でザイルをつないで登っているときに、垂直でかぶり気味のところが庇になっていると上の人が見えないわけです。ザイルは動いていますから、登っているというのはわかるのですが、やはり見えないと怖いですから、ちゃんと登っているかとすごく確認します。そして庇のあたりまで来るとヘルメットが見えて、顔が見えてきますね。そうすると「ああ、来た」と思って、ふっと安心してしまうのです。そういうときに事故が起こるのです。相手が見えてきた途端に安心して、今度は別のことに気がいく。とりあえず終わりみたいな。でも、それはきちっとクリアしてから次にかからないといけないのです。
小 松 パッと見えたら、ふっと気が抜けてしまうような感じですね。
田部井 それで思わず、ちょっと緩めてしまって、それが大きな事故につながったというようなことがあり、「顔が見えたときこそ、注意だぞ」と、私は何回も言われました。
山 田 岩場を登っている人も恐怖心というのはあるのでしょうね。どうしてこんな山を登れるのだと思うわけ。外から見るとほとんど垂直ではないですか。
田部井 恐怖心はあります。落ちたら終わりですから。ちょっとそり上がっているように見えるのですが、実際に行ってみれば弱点があって、登れるルートがあります。
白 岩 ハーケンを打つでしょう、あれはどこに打ってもいいというものではないのでしょう。
田部井 昔は縦の溝と横の溝があって、横のハーケンと縦のハーケンと区別して打つのですが、今は道具もものすごく日進月歩で発達して、いろいろな岩場でも、ちょっとした細い割れ目があれば、そこに入れると中でパッと開くようなものもあります。
山 田 アンカーと同じですね。山の崖などが崩れないようにするときに、アンカーを打ち込めば中でパッと開くといものと同じ原理ですね。技術革新が進んでいるのですね。
田部井 ええ、昔は鉄だったのがジェラルミンに変わって、アルミになって、今はチタンというように、すごく道具が変わってきました。
小 松 私は学生時代に山登りをしていましたが、今はチタンの製品も出てきているのですか。
田部井 そうなのですよ。昔は肩がらみといって、全部自分の腕力だけで体に巻きつけて下りましたが、今は懸垂下降機というのがあって、それをロープにセットしますと、手を離しても大丈夫なのです。それでしっかりと下りて来られるのです。それから登るときには上がるけれども、下には絶対下りないというものとか、そういうのもすごくできています。
山 田 建設業は仮設だとか安全設備がよくなっているけれど、結構事故があるね。
白 岩 設備に頼ってしまうところがある。
山 田 設備がよくなると気が緩むのですよ。そういうのはヒューマンエラーと言う。やっぱり危ないところがあるんだよね。そのへんを注意していかないといけない。
田部井 やはり声を出して確認するのが一番いいですね。「これでいいね。安全ベルトOK」とか、「ロープOK」とかを指差しながらやりますよ。
小 松 建設現場でもやっている指差称呼と同じですね。
白 岩 「足元よし。安全ベルトよし。保安帽よし。」と言わないと。ところで、山田社長は学生時代にグランドホッケーのキャプテンをやっておられたということですが、そのご経験が何かに通じているということがおありだと思うのですが、いかがでしょうか。
山 田 ホッケーも走り回る競技ですから、やっている最中は苦しくて、何でこんなことをやっているのだろうと思いながら、高校から7年間続けました。スポーツは体力だけでもダメで、やはり精神面の強さがある程度ないと続けられないと思うのですが、あとからいろいろな面でプラスになりますね。社会に出ると学生時代にはなかった厳しい面があるわけですが、私の場合はホッケーをやってきたことが、非常にためになったということはとても考えました。一例として、地下鉄の現場では30メートル近く上り下りをしましたが、体力的には大したことはありませんでした。体力がしっかりしていれば、安全の面でも不安な部分が少なくなるのです。また、住民や沿道に住んでいる方の苦情処理などの対応という仕事があり、そういうのはやはり辛いものですが、耐えられたというのはそういうスポーツをやっていた経験からきたのかなというのがあります。


安全を確保するには見栄も面子も不要だ

小 松 登山においても会社の経営においても、状況判断と決断が一つの岐路になると思いますが、そのあたりについてお話を進めていただきたいと思います。
山 田 私は、一番いい決断というのは、自分を律すること、自分の利益を考えてはいけないということだと思うのです。我々経営者も例えば経営の判断をするときに、これをやると批判されるとイヤだから、こっちにしようということも往々にしてあるわけです。しかし、長い目で見れば社員にも協力会社にも、株主にもいけないことになると判断したら、責められてもいいから自分を無にして決断することが大切だと考えています。登山でも本来ならば、ここで引かなければいけないという話を聞きますが、それを聞かないで行く人がいるでしょう。それはリーダーの判断だと思うのですが、リーダーは「何だよ、こんな計画立てて」と言われても、そんなことはいいのだ、ここで決断して、この登山はやめようという判断をする人と、文句を言われるのがイヤだということではなくても、自分が決めたことをそう簡単に曲げないというので、危険に飛び込んでしまうということが多分あるのではないでしょうか。
田部井 そうですね。無欲になるというか、それが正しい判断につながっていって、人間としてこの判断で自分に恥ずかしくないというのが大事ですね。
山 田 それがものに取り組むときの一番基本の姿勢だと思うのですが、一番難しいことでもありますね。自分を滅して、自分をなくしてやるのは。私も経営者として、それは忘れないでいたいと考えています。
田部井 本当に無欲になるというのはものすごく難しいことだと思います。私はエベレストのときには自分が登ろうとは全然思っていませんでした。
小 松 その話が出ましたので、エベレスト登頂のときのお話をお聞かせください。
田部井 私は長の付く者は登らないほうがいいと思っていましたから、自分が登るという気は全然ありませんでした。とにかく隊の誰かは登らせること、そのサポートに徹することを考えていました。そのためには自分が元気でいないとサポートはできませんから、自分も頂上まで行けるだけの体力と技術がなければダメだということだけでした。
白 岩 田部井さんは隊長だったわけですか。
田部井 登攀隊長でした。隊長と登攀隊長は別なのです。
白 岩 そうすると最後まで行って、お互いに「あなた、登りなさい」「いや、あなたが登りなさい」ということだったのですか?
田部井 いえ、違います。隊長がみんなのコンディションや状況を見て、最終的に登頂隊員のメンバーを決めます。私ともうひとりの隊員が指名されたのですが、そのとき「えっ、私が行くわけ?」とビックリしました。でも、あれだけの山になると高山病にかかったりして、自分のコンディションが保てなくなり調子が悪くなっています。山はすごく残酷だと思うのですが、自分はものすごく意欲があって、行きたいと思っても体がいうことをきかないわけです。お茶碗を持つだけでもやっとという人もいるし、もうご飯も食べられない、そこにいるだけで衰弱してくるという状況の中で荷物を用意したり、運んだりという作業をしますから、動ける人と動けない人は一目瞭然になってしまいます。そういう中で隊長は一番いい条件の人を二人選んだわけですが、ほかの隊員は「お願いだから行ってきてちょうだい。そうすれば私たちは帰れるから」と言うのです。そこまで限界にきています。
 私も行って見ないとわからないし、できるだけのことはやるつもりで上のテントに行ったのですが、シェルパーが高山病にかかって、二人分の酸素が上がらなくなってしまいました。そこでどちらが頂上まで行くかということで隊長とすごく議論をしたのです。そのときに、とにかくこの隊員を上げたい。そのために私はサポートすると言ったのですが、隊長はやはりここでは一番いい判断をしなければいけないから、ひと晩考えさせてくれということで、翌日の判断は「田部井さんがやっぱり行ってくれ」と、それは命令だったわけです。
小 松 8,500mの最終キャンプから頂上まで350mですが、何時間かかったのでしょうか。
田部井 6時間ぐらいかかりました。前日にすごい雪が降って8,500mを超えて、かなりラッセルがありましたから、5m進むだけで心臓が飛び出すかと思うくらい疲れましたし、まず足が持ち上がらない。体ごと斜面に対してぶつかるという感じで、雪を押す。それから膝で踏んで、それから足で踏んでいく。それをシェルパーと交替でラッセルしていくのですが、しかもそのときに19キロ近い荷物を背負っているわけです。
小 松 私もラッセルの厳しさを経験していますが、8,500mを超えてやるのですから、その大変さは言葉に表せませんね。
田部井 でも、ああいう思いをしましたから、どんなことでも「これぐらいは大丈夫だ」と思えるので、本当に苦労というか、辛い思いをすると底力がつくのかなと思いますね。
白 岩 限界に挑戦した人の話ですね。
山 田 シェルパーとのコミュニケーションの取り方はどんな感じなのですか。
田部井 カトマンズから荷物を輸送してベースキャンプに行くまでに1カ月ぐらいかかっていますから、彼らとは2ヵ月くらい一緒に過ごしているわけです。彼らは日本語をすごく覚えてくれるし、私たちもネパール語をある程度覚えて、普通の会話だったらネパール語と日本語と英語です。だからすごいおもしろい言葉がいっぱい飛び交って、それでもちゃんと通じるのが不思議です。
白 岩 違う国の人でも目的を一つにすれば通じるということですが、やはり思いやりがお互いに通じていくことの基本でしょうね。
田部井 それと、できることとできないことをはっきりさせるというのが大切です。男性には申し訳ありませんが、自分ができなくてもできるというように、男性は面子を重んじる方が多いですね。だけど、それは非常に危険なんです。

 
 

マニュアルオンリーから離れて「考える葦に」

小 松 肝に銘じなければならないご指摘をいただきましたが、次に進めさせていただきます。 田部井さんは山岳環境保護団体を主宰されておられますが、山のごみ問題の現状はどうなのでしょうか。
田部井 高度成長が続いて80年代後半から一サラリーマンでもヒマラヤに行けるようになり、登山人口も増え、いろいろなものを持って行く、また便利なものができすぎて、原始的な生活を楽しむために山に行くのに、都会と同じようなものを求めて山に行ってしまう人が多くなりました。そういうこともあって一時、ごみで汚れた時代がありました。
 そこでもう10年以上になりますが、私たちは持っていった物は持って帰ろうという啓蒙運動をしてきましたし、登山者のマナーもよくなってきました。山によっては違いますが、今の富士山はとてもきれいになっています。私たちの場合のように年配になってくると、時間どおりに歩けないことがありますから、それに対する予備食というのは必要なので、10%から20%分の予備食は余分に持っていくのですが、包装が過剰なものは全部外していく。紅茶も紙のパックを全部外していく、箱に入った食料品などは全部箱から取り出していく、トイレットペーパの芯は抜いていくとか、本当にギリギリのところまで余分な物は取っていくこと、そして持っていったものは持ち帰ってくるということが基本です。  
山 田 環境マネジメントのISO14000の認証を我社は受けて、いろいろ取り組みをしていますが、それには、根本的に個人一人ひとりがどうしてそれをやらなければいけないのかを認識しないとダメな部分があります。どういうことかと言いますと、ISO14000のマニュアルの通りにやっていればいいやという部分があって、マニュアルから外れたことをやらなければいけないこともあるということを忘れてしまう。
田部井 マニュアルがすべてというのは危険ですね、考えませんから。
山 田 マニュアル通りにやっているから、会社は環境に対してきちんと対応していますよというのではなく、現場によって守らなければいけないことがあるわけです。だから私が社員に発信しているのは、なぜ環境に対して力を注がなければいけないのかということです。地球の自然環境を守るために、子孫のためにやるのだという意識で考えれば、今のマニュアルのままでやっていたのでは十分でないというのがあります。この場合は違うだろうということを考えなくなってしまうというのは危険だと思う。
田部井 それは私も山ですごく感じるのですが、都会だと信号が青になったら何も考えないで渡りますね。だけど、山では誰も信号を青にしてくれないし、赤にもならない。それを考えるのは自分しかないのです。風の具合や雲の流れ、そういったことから天気が変わるかなとか、何かガサガサと音がすれば熊かなとか、そういうように自分で自分の身を守らないといけないと本能的な五感がうんと働くのに、マニュアルがあるとそれを使わない。
山 田 いわゆる勘が働かない。だから勘の発達した人間というか、そういう社員集団になってほしいと思っています。ところが、そうでない方向に世の中は動いている。だから登山もそうでしょうし、我々の世界も建築物を作るときに、当然安全もそうだけれど、例えば建物の意匠、これをどうするとか、色をどうするとか、そういうものはやはり感覚なのです。それがマニュアルオンリーの世界になってしまうと、そういういう感覚を司る右の脳の働きが衰退していくということで、これは注意しないといけないかなと思うのです。
白 岩 山田社長が災害防止協力会にも「考える葦」になってほしいと言ったのは、そういうことですね。
山 田 我々もそうだけれど、協力会社もあまり考えないで仕事をこなす時代を過ごしてきたのではないか。パスカルは「人間は河原の葦ぐらいの存在だけど、考えるから立派なのだ」と言ったわけですが、我々も知恵を出していこうという意味をこめて申し上げたわけです。
小 松 最後になりますが、今年の抱負をお聞かせいただきたいと思います。まず田部井さんからお願いします。
田部井 私はどんな小さな国の、どんな低い山でもその国の最高峰というのがあると思っていますので、各国の最高峰を目指しています。それで1月は南米のチリにあるオホスデルサラド山という6,900m近い山に、2月は台湾、3月はカナダでスキー、4月と5月がスペイン、6月がブータン、7月がカムチャツカ、そして8月が北欧の最高峰、9月がアメリカの山の予定で、10月と11月はネパールという予定になっています。それから、私たちがエベレストに登って30周年になりますから、シンポジュウムをネパールで開催しようとも思っています。
山 田 ほとんど日本にはいらっしゃらないのですか。
田部井 いえ、日本の山も登ります。もう限られた時間しか動けないので、目いっぱい動きたいと思っています。
山 田 私は白岩会長と協力して1年間無事故・無災害ということがまず一つ。そして会社の経営も何とか安定させるために一歩一歩頑張ることです。それには社員、協力会社、働いているすべての人の意思の疎通をよくして、同じ気持ちで取り組んでいただくことを願っています。
白 岩 確かにそのとおりだと思います。我々が一番大事なことは人間関係ですから、上に立つ人がどれだけモラルをもち、相手の立場に立って考えるかということが心の通じる原点です。だから、社長の言われる方針に基づいて事故をなくすことで、まず墜落・転落災害の防止に全力をあげること。それと重篤災害、死亡災害だけはなくしたいというのが今年の抱負です。
山 田 できるだけ現場に寄れるようにして、作業員の人とも会えるようにしたい。それも努力しようと思っています。
白 岩 社長が現場に行っていただけるというのは、我々にとって非常に嬉しいことです。災害防止協力会の行事にも本当に忙しいスケジュールの中で出てきていただき感謝しております。
小 松 長時間、貴重なお話をいただきありがとうございました。

●田部井淳子氏プロフィール●
1939年 福島県三春町生まれ
1962年 昭和女子大学 英米文学科卒業  
      社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ
1969年 『女子だけで海外遠征を』を合言葉に女子登攀クラブを設立
1975年 エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、
      世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、
      中国名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功
1992年 女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる
2000年 九州大学大学院 比較社会文化研究科 修士課程 修了
      (研究テーマ:ヒマラヤのゴミ問題)
現 在 年7〜8回海外登山に出かけ、現在までに35か国の最高峰に
      登頂 山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・
      トラスト 略称:HAT‐J(ハット・ジェー)の代表


 

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