目標に向かって歩む素晴らしさ
新春・
大いに語る |
【出席者】
山田 豊彦
(東急建設株式会社 社長)
田部井淳子
(登山家)
白岩 常志
(東急建設轄ミ害防止協力会 会長)
小松 茂
(東急建設轄ミ害防止協力会 事務局長)
*敬称略 |
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小 松 本日は世界で女性として初めてエベレストに登頂され、さらに世界7大陸の最高峰を登頂されるなど、登山活動に力を注いでおられると共に、山岳環境保護団体の代表として山の環境問題にも取り組んでおられる田部井さんをお迎えして、東急建設の舵取りをされている山田社長、災害防止協力会の白岩会長、事務局の私が司会役ということで話を進めさせていただきたいと思います。
登山は頂上を目指してひたすら歩んでいく世界だと思います。建設業も一つのものを創るという目的に向かって進んでいくということで、お互いに共通するところがあるのではないでしょうか。そこで、座談会のテーマを『目的に向かって歩む素晴らしさ』にさせていただきました。
まず、田部井さんに、山登りを始められたきっかけからお伺いしたいと思います。
田部井 私の生まれた福島県の三春町は、梅と桃と桜が一度に咲くので三つの春と書いて三春といわれるように、非常に緑に囲まれた所で、山というのは畑があり、桜が咲き、ツツジが咲くという、緑の山という概念しかなく育ちました。
たまたま小学校の4年生から6年生のときの担任の先生がすごく山好きで、先生から夏休みに山に行くけれど一緒に行くかと誘ってくださって、ついて行ったのが栃木県の那須にある茶臼岳と朝日岳という1,900m近い山でした。当時は戦後間もないときですから、自炊用の味噌や米などを入れた小さいザックを背負いながら登っていきましたが、私がものすごく驚いたのは、山なのに草も木もないということでした。火山の山ですから岩と砂だけで、しかも硫黄でできているので変な匂いがする。「ああ、こんなところがある!」。川というのに、ここではお湯が流れている。それが10歳の私にとっては驚きの連続でした。教科書で習ったものではない、自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の肌で感じた体験というのは強烈でした。そして、自分の知らないところがもっともっとあるのではないのか、という好奇心に満ちた気持ちをもったのが、私が山に興味をもったきっかけでした。
私は小さいときは体が弱く、よく扁桃腺で熱を出して、体育の選手になったことは一度もないのですが、山登りというのはヨーイドンで登っていくのではないのだよ、どんなにゆっくりでもいいのだよと、先生もおっしゃってくれましたし、自分が歩いていかない限り、絶対頂上には着かない。そしてどんなに辛くても、誰も選手交代というのがない。それも私にとってはとても納得がいくことでした。スポーツはダメだったけれど、「ああ、みんなと一緒に頂上に立つことができた」という達成感と満足感と、「ここに来ないとこの風景は見られない」ということが今でも続いていると思います。
白 岩 山田社長は山登りのほうはいかがですか。
山 田 私の父親は戦前の小学校の先生でしたが、写真などを見ると、相当に山登りをしています。ところが私を含めて男の子が3人いるのに、誰も登山をしない。私の山登りの経験は北海道の藻琴山で、1,000m位の山です。修学旅行の途中で登らされて、何でこんなところへと思いながら頂上にたどり着いたら、屈斜路湖とオホーツク海と知床半島がパーッと広がって見えました。その思い出が一つあります。
それから、山梨県の櫛形山の中腹に父が山小屋をもっていましたから、櫛形山には登ったことがありますが非常にきつかった、もう苦しくて。それでも登ったら、あやめ平という花の頂上があって、向こう側には北岳が姿を見せている。
田部井 非常に景色がいいところですね。
山 田 家族と登ったり、小学校の同級生と登ったりしたこともありますが、あまり登山の経験はありません。1,500m位の山でも、もう二度とこんなことはやらないぞというくらいきついのに、8,000m級の山に登るですから、本当にすごいと思いますね。
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状況判断と情報の共有化が危険を防ぐ
小 松 田部井さんも山に登っているときにヒヤッとして、「ああ、危ない」という経験が多分おありだと思うのですが、それが次の計画に生かされるということがあるのではないでしょうか。
田部井 登山の計画を立てるときには、非常に緻密な計算をしていきます。例えばエベレストですと標高8,848mですから、最後のキャンプ地が8,500m地点になります。そして頂上に3人立たせようとすると、8,000mのキャンプには補給するために倍の6人の隊員、ベースキャンプにはその倍の12人の隊員が必要となり、それに隊長とドクターなどを入れると最低でも15人のメンバーがいる。それで、テントを六つ出すためには、どれだけの機材や食糧が必要か。何日間滞在するかによってシェルパーが何人必要か。荷物によってはポーターが何人必要か。そういう計算をしなければなりません。ですから実際に山登りをするというのも大変なのですが、その準備の段階がとても大変で、緻密に計算したつもりでも、いざ現場に行ってみると予測できないことがいっぱい起こってくるわけです。
そのときに目前にある困難を乗り越える力があるのは、現場の数をたくさん踏んでいる、いろいろな体験をこなしてきた人です。そうでない人は非常にパニック状態になってしまい、例えば自分が装備係だと、その装備が足りないときに「東京の会議のときはこうだった」とか、すぐ振り返るわけです。でも、今は東京ではなくネパール。体験を積んだ人、何回も何回もそういう危機に直面したことのある人はパニックになるのを抑える力というか、常に自分自身が平常心を保つことで、次のステップが考えられるのですね。
私もヒヤリとしたことを何回も潜り抜けてきたし、亡くなった人もたくさん見てきました。その亡くなった人がどうやってそういう状況になったかということを考えると、山の場合には自分の何かの判断ミスであったり、行動のミスであったりといった要素が非常に多い。だからまず、自分自身の判断をきちっとしなければいけない。そのためには現場の数をたくさん踏むということ、それしかないのです。それによって直観力というか、例えば山を見たときに、このルートはいいとか、悪いとかいう判断ができやすくなります。
白 岩 我々の建設業と全く一緒ですね、プロとしての意識をもつというのが。事故を起こさないというのは職長、リーダーがキーポイントで、現場の第一線でやっていく人間の状況判断というのが非常に大切です。そのリーダーの言ったことが作業員に的確に伝えられ、みんなに伝わって、その意識になるか、そこが非常に問題なのです。登山もチームワーク、人間関係が大事なのでしょうね。
田部井 伝達能力というのも非常に大事です。現場の第2キャンプと第3キャンプとベースキャンプはものすごく離れていますから、状況をトランシーバーで伝えるのですが、何か起きると人間というのはオーバーに言いがちになり、状況をきちんと把握しないで、「雪崩が起きた!」とか叫ぶだけになる。雪崩がどこで起きて、どういう被害があって、何人がどうなったか、そういう的確な状況説明でなければなりません。パニックになっているときは、きちんと聞けないことが非常に多いので、私たちはそれを防ぐために書いたものをすごく大事にしました。とっさのときにはトランシーバーで伝えるのですが、そのときにも「いつ、誰が、どこで何をした」という伝え方をすること。誰かが落ちたといっても、その落ちた人がどうなっているのか、何メートル落ちたのか、その落ちた状況はどうなのか。そういったことがわからないと救出もできないし、その場で対策がとれませんから。
それからキャンプに装備、食料などがどれぐらい上がったかということの確認があります。例えば何人で何日ほど滞在する分の食糧が上がっているのか、それを調理するためのコンロがいくつ、ガスが何本上がっているのか。どれくらい上げたと思うとか、上げたらしいとか、推定とか憶測で言っては絶対にいけない。数量をきちっと把握するための専用のノートに荷揚げした人は必ずそこに書き込んでおきます。そして、使ったものは必ず色を変えて別の鉛筆で書いていく。そうしないと、何がどれぐらいあるとのかという管理ができません。下から上がって行ったら食料がなかったとか、寝袋もなかったというのが実際にあるのです。
山 田 今のお話を聞くと、建設業の着工というのは登り始めで、竣工が頂上ですね。登山する前にいかに緻密な計画をするかが大事なことになりますが、建設も同じです。安全から品質、工程、原価、環境などにわたって綿密な計画を立てます。この工事のどこが危険で、あるいはどこが難しいということを100%近く把握し、できるだけ計画どおりに仕事の流れがスムーズに進むと、やはり危険というのは少なくなります。しかし、いくら綿密な計画を立てても、やはり事故や災害は起きてしまう。それは会社の責任でもあり協力会社の責任でもあるのですが、最後には実際に働いている人の心の持ち方とか、安全に対する意識とかいったものによって、どうしても起きてしまう。その確率をできるだけ小さくするためには、最初の計画と途中のチェックが大事なことで、やはり同じだなと思いました。
それと、田部井さんが言われた情報のあり方ですね。我々もやはり情報の共有が非常に大切で、みんなが同じ情報をもっていないと、物事はどこかで食い違ってしまいます。だから同じような問題点があるのだなと思います。
白 岩 全くそのとおりだと思います。例えば危ないから気をつけろというのはダメで、ここが危ないから、こういうふうに気をつけなさいという指摘でなければなりません。だから、現場の状況を本当に的確につかむことです。そのへんが人間だから、ちょっと傲慢になってみたり、忘れてみたり、言い間違い、聞き間違い、勘違いをする。
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