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■みどり 91号
●私の宝物
子供たちの笑顔

 「みどり」を読まれている大部分の方には「はじめまして」だと思います。
 私は札幌支店安全環境品質部、及び災害防止協力会札幌支部の事務局を担当しています、鈴木と申します。  
 まずは簡単な略歴から。私は昭和60年に建築技術員として入社し、東京支店の作業所に配属されました。入社7年目に定期異動で札幌支店に転勤し、作業所勤務から内勤(建築工務)、再び作業所勤務を経て平成16年1月より安全環境品質部勤務となりました。  
 この原稿を依頼され、「私の健康法」「私の趣味」「私の宝物」をテーマ例として提示されたのですが、しばし考え込んでしまいました。(支店の方は良くご存知かと思いますが)決して健康的な生活をしているわけではない私が「健康法」でもないし、これといった趣味はないし…。
 もうひとつのテーマの「宝物」?と考えた時に、はたと思い当たるものがありました。
 内勤という現在の所属と、夏季限定という条件付きではありますが、この「宝物」をご紹介したいと思います。
 私は3年前、社宅制度の改正をきっかけとして引越をし、現在の町内に移りました。以前の町内会もそうだったのですが、町内の小学生の野球チームがあり、私は学生時代少しかじっていたこともあって、チームでコーチをしています。決して強いチームではなく、ほとんどの子がチームに入って初めてボールを握るという状態です。従ってチームに入った当初はキャッチボールもまともにできず、バットがボールにかすりもしません。

鈴木 宏幸
札幌支店
安全環境品質部

 私の町内会では町内の親睦の一環として野球の指導をしていますので、練習中、子供たちを野球の技術に関して怒ることはほとんどありません。「楽しく、仲良く、怪我をさせず」をモットーに指導していますので、上達は決して早いとはいえませんが、その分子供たちが生き生きとして、ほんとうに楽しそうに練習をしています。練習中、こぞって「コーチ、今日はぼくとキャッチボールしよう!」と寄り集まってくる瞬間の子供たちの笑顔が、まさに今の私の宝物です。
 小学校低学年からチームに入ってくる子がほとんどですが、たいした指導力もない私たち指導陣にも関わらず、小学校を卒業する頃には驚くほど上達し、中学校に入っても野球を続け、時間がある時には後輩の指導に駆けつけてくれることも私の楽しみのひとつです。
 これからも微力ながら地域社会への貢献のひとつとして、また子供たちの健全な育成の一助となることを信じて、町内会での野球の指導を続けていきたいと思います。もちろん、たっぷり汗をかいた練習が終わったあとのビールのうまさも、続けていく大きな要件のひとつではありますが。
●安全担当者活動日誌
「危険ゼロ、災害ゼロ」をめざして






白井 久雄
東急建設且都圏本部
東関東支店 安全環境品質部 部長

今日の現場パトロールは与野共同溝その2工事作業所である

 私は平成15年4月1日から安全の担当として、現在、東京、神奈川を除く関東地方全域と長野、山梨、北陸4県を見ることになり、首都圏本部が担当する面積の93.6%以上を占めています。この地域にある作業所を巡視してみますと、前向きな事業者さんもたくさんいます。例えば、『現在、すべての鳶さんと鉄骨鳶さんに2丁掛け安全帯を使用させていますが、来年度からすべてハーネス型2丁安全帯に変更します」という事業者さんや、「作業員の人事台帳を作成し管理している」会社もありました。

 


 しかし、それでも不幸にして災害・事故が発生するときがあります。一度災害・事故が発生すると、被災者のみならず、その家族の人生が変わってしまう場合があります。ベッドで寝ている被災者の脇で泣いている家族をもう見たくありません。その子供がまだ小さい場合などは、この子の人生はこれからどうなってしまうのか? などと考えてしまいます。
 そんな時、「もし、その事象が1秒ずれていたら」、「もし3cmずれていたら」、「もし声を掛けていたら」、「もし、もし・・・していたら事故が発生していなかったのに」と思います。また、「なぜ、そんなことをしたのだろう?」、「どうしてそこにいたのだろう?」、「何で・・・?」と思ってしまいます。
 大方は個人の不注意と言ってしまえばそれまでですが、その背景には必ず何かがあります。管理不足、不適切な保護具、認識不足、過信、などなどたくさんあると思います。

 それでも最後にはやはり作業員の一人一人が、「この作業にはどんな危険があるのだろう?」、「どうしたら、安全に作業が出来るだろう?」、「このような道具でよいのだろうか?」、「この作業にはこの保護具でよいのだろうか?」ということを現地に行って作業環境を確認し、工法・手順を確認し、危険を排除しなければならないと思います。職長さんは大変だと思いますが、作業員の方に良い指導を行ってください。
  事業者さんは、職長さん初め作業員一人一人のよき指導者であって欲しいと思います。そして、作業員一人一人の力が作業所を構成しているのだという認識にたって、一人でも災害・事故を出さない強い意志で無事故・無災害で作業を完成していただきたいと思います。
 最後の棟梁と云われた西岡常一さんが宮大工の口伝えとして「塔組みは 木組み。木組みは 木のくせ組み。木のくせ組みは 人組み。人組みは人の心組み。人の心組みは棟梁の工人への思いやり。工人の非を責めず 己の不徳を思え。」(NHKブックス「法隆寺を支えた木」より)と云っているように、みなさん一人一人、そして会社、事業者さん、元請がそれぞれの責務を実行し、不徳が起こらないように一丸となって「危険をゼロ、災害ゼロ」にしていきましょう。


●協力会社訪問
葛黒沂v(名古屋支部)

「安全・技術・まごころ・信用」を大切に
一つ一つの仕事を感謝して施工する

代表取締役 米本 正昇
本社所在地 名古屋市西区宝地町369
業 務 内 容 エアーモルタル工事、薬液注入工事、モルタル注入工事、
        吹付工事、ボーリング工事、ウエルポイント工事、防水工事


米本正昇社長
●牛福久という社名は珍しいですね。何か由来があるのでしょうか。
米本社長 私の祖父が昭和初期から庄内川で砂利採取業を営んでいて、大八車に砂利を積んで牛に引かせて名古屋市内の学校とか運動場に搬入していたそうです。当時は牛がたくさんいたことと、祖父の名前が福太郎であることから、うし(牛)のふく(福)さんと呼ばれ、屋号が「牛福」になったということです。そして、父が昭和32年に木曽川で砂利採取事業を興したときに久をつけて、現在の「牛福久」という名前となりました。

●地盤改良工事で名港西大橋などの工事を担当されていますが、地盤改良工事の業務を始めるきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
米本社長 たまたま身内に地盤改良をしている人がおり、仕事をやってもらえないかという話をもってきて、父が応諾したのが始まりです。昭和44年のことで、その頃は砂利に関する規制も出てきた時期でもあり、砂利採取の先行きも見えているし、地盤改良の競争相手も少なかったというのも地盤改良の業務を始めた理由になっていますが、実際に仕事としてスタートしたのは、東急建設の現場で初めて取引していただいた隧道トンネルの工事でした。そのときは機械も1台しかありませんでしたが、他所から機械を借りて無事に仕事をし終え、それ以降、地盤改良工事がメインの業務になっていきました。

●昭和44年に株式会社に組織変更されていますね。先代から社長を引き継いだのはいつでしょうか。
米本社長 地盤改良の業務を始めるのにあわせて株式会社にしました。父が社長でしたが、砂利採取業とは全然違うものですから、私が先頭に立って仕事を覚えながら若い人に伝えていきました。 社長を継いだのは昭和62年で、営業の第一線にも立つ立場となりましたが、これまで現場を踏んできた経験が私の大きな財産になっていると思います。

●経営にあたって最も大切にされていることは何でしょうか。
米本社長
 「安全」「技術」「まごころ」「信用」が社訓で、いただいた仕事はありがたく思い、いつも感謝の心をもってやるようにと皆に言っています。
 経営にあたっては社員と協力会社社員を信頼し、皆一丸となって仕事を施工完了させることを第一に考えています。そのために報告・連絡・相談の「ほうれんそう」を基本としています。仕事が終わったら会社に帰ってきて日報を書き、何かあれば改善策等を具体的に指示していますから、急に担当が行けなくなった場合でも、代わりの者が現場ですぐに対応できる体制になっています。

危険予知活動
●それが牛福久の強みですね。
米本社長
 それから、職長には「あなたはうちの代表だよ、顔だよ」と送り出していますが、社員と協力会社社員が営業マンの気持ちでいつも笑顔で、挨拶をしっかりすること。どんなに悪い条件の仕事でも最後までやり遂げること。全員が会社の近くに住んでいますから、土日祭日、夜間に急な仕事でも施工ができるといったことが当社の強みだと思っています。

フタバ興業(大阪支部)
安全・工程・品質から皆のマナーまで
すべてが網羅される「信用」が一番の力


代表取締役 友長 幸男
本社所在地 大阪府吹田市南金田1-10-18
事 業 内 容 アスファルト防水工事、常温ゴムアスファルト防水工事、塗膜防水工事、
        F・R・P防水工事、止水工事、成型伸縮目地材販売 等

友長幸男社長
●フタバ興業さんの創業はいつでしょうか。
友長社長
 昭和32年に私の兄が創立しました。私は大学の土木科を卒業して、建設会社に勤めていましたが、兄が亡くなり、昭和55年に私が後を引き継ぐことになりました。20年近く会社で技術畑にいましたが、防水はまったくの畑違いで、大変な世界に飛び込んだなと思いました。

●突然のことで大変だったのではないでしょうか。
友長社長
 兄の関係があって、日本アスファルト防水工業協同組合など組合の役員にもすぐにさせられて、現場へ出向いて見たり聞いたり、防水の技術的なことを学ぶ時間がありませんでした。しかし、トップであるからには会社を成長させ、良くしていくために、お得意の洗い直しなどを含めて営業活動を進めていくことにしました。
 私が入った頃は、防水業界はゼネコンから仕事が出たので「来い」と言われると見積を持って行き、その場で仕事を決めていただく「待ちの営業」でよかったわけです。防水屋がこのゼネコンは自分のところのお得意と決めていて、自分のお得意に何でお前が来るんだと言われる。また、メーカー指導型で「これはあなたのところの物件だ」というような言いなりになっているところもあり、私としては自分がやってきた仕事の世界が違いますから、そんな変な話はない、自分の考え方で商売をするんだと反発しました。そこで、自分のところのお得意と言わせないようにするために、ゼネコン各社の名義人になって営業活動を積極的にやってきました。

●社長になって目標にされたのは、どのようなことだったのでしょうか。
友長社長
 10年先を考え、毎年1割ずつ伸ばしていくこと、同時に10年の間に剰余金を資本金の10倍にする目標を掲げてやってきて達成できました。その間バブルがあり、その頃は3割くらい伸ばそうと思えば可能でしたが、あえて伸ばしませんでした。なぜかというと、それだけの仕事を取ると職人のバランスがうまくいかなくなり、ご迷惑をかけるということが出てきて信用を落とすことになるからです。1割ずつだと何とか対応できるという考え方で今までやってきました。
 ところが、今の時代は建設業がどんな格好で伸びていくのか、あるいは落ち込んでいくのかつかめないので、はっきり言って3ヶ月先が分からないような状態です。ただ、はっきりしているのは今のままの単価では職人を育てる能力が下請にはないし、育てる以前に職人が減っていって、将来的に職人問題は大変なことになるということです。当社もこれまで若い人を育てるために、マンションに入るお金を貸してあげたり、直接的にも間接的にも環境づくり力を入れてきて、おかげで若い人材が多くいますが、今はそれだけの経費は捻出できなくなっています。

●皆さんに常々話されていること、また経営するにあたって大切にされていることは何でしょうか?
友長社長
 こういう時代になっているから、設計どおりきちんと施工することが、今まで以上に信用を得ることができるんだよということを、職長会などでもうるさく言っています。
 防水の仕事は他の仕事と少し違い10年保証が昔からありますが、人間がやることですから1回も漏らさないというのは至難のことですし、防水の施工だけが原因でない場合もあるわけです。しかし、防水業者の責任において保証しなければならないし、10年保証するということはコストがそれだけ掛かっていることになります。私が理事長をしている組合では、仮に当該会社が倒産しても、組合製品で施工した場合は組合が保証することになっていて、お客様にご迷惑をかけないようにしています。
 私が一番大切にしているのは信用です。信用には安全、工程、品質、さらに仕事に従事する一人一人の行動、マナーまですべてが網羅されていますから、何か一つ問題を起こすと、それだけ信用を落としていることになります。信用なくして建設業は成り立たない考えています。

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